2022.08.22 保険知識

近代的生命保険会社が設立された18世紀。一方そのころ?

近代的生命保険会社が設立された18世紀。一方そのころ?

■ごあいさつ

こんにちは、UCnote担当です。

1762年
平準保険料を採用した初の生命保険会社がイギリスで誕生しました。

一方そのころ、各国では何が起きていたのでしょうか?

欧米の一部を調べてみます。

■イギリス

まずは近代的生命保険会社のエクイタブル社が設立されたイギリスからです。

▼産業革命

技術と経済において世界を席巻していきます。

1705年 蒸気機関の発明
1709年 コークス製鉄法の開発
1733年 飛び杼の発明
1764年 ジェニー紡績機の発明
1765年 ワットによる蒸気機関の改良
1785年 蒸気機関による力紡績機の発明
1804年 蒸気機関車の登場

怒涛の発明ラッシュですねー。

▼戦争

1756~63年 7年戦争

まさにエクイタブル社設立の真っただ中です。

イギリス・プロイセンVSオーストリア・フランス・ロシア・スペイン・スウェーデンの戦いだそうです。

もともとはオーストリアのマリア・テレジアが王位継承する際に、反対したプロイセンがオーストリアの領土だったシュレージエンを手に入れました。
その領土の奪還のための戦争だったようです。
結局オーストリアは奪還出来ませんでした。

現在ではこの領土は、ポーランドを中心にドイツ・チェコに面した地域のようです。

1755~1763年 フレンチ・インディアン戦争

英仏植民地戦争。
フランスの項をご参照ください。
上記7年戦争の北米版です。
フランスは破れ、北米での植民地を失いました。

▼国名

イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの4つの地域からなる連合王国です。

正式名称
グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国。

その昔、幸せ家族計画というテレビ番組で国旗を覚える企画がありました。
その時テレビを見ながら覚えたことが思い出されます。

この4つの地域は各々文化を持ち言葉も違います。
一度に一つになったわけではないようです。

1536年 イングランドとウェールズが統合。
1707年 スコットランドが統合され、グレートブリテン王国成立。
1801年 アイルランドが統合。
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国の成立。
1922年 南部アイルランドが独立。
グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国成立。
現在に至る。

大体100~150年統合や独立が起きています。
今年は南部アイルランド独立からちょうど100年。
最近はEU脱退もありましたね。

 

■フランス

イギリスと植民地の支配権を争ったフランスです。

▼革命

    1715年 ルイ14世死去
1789~95年 フランス革命

ベルばらで有名なフランス革命。
いつまでとするかは諸説ありました。
歴史あるあるですね。
エクイタブル社設立から少し後です。

 

ルイ14世は72年もの間、王で在り続けました。
その間にフランスの栄枯盛衰を経験しています。

実力主義を採用し国力を高め、ベルサイユ宮殿を作り、対外戦争に明け暮れました。
そうした宮廷の浪費と戦費による財政赤字がフランス革命の要因の一つのようです。
借金は歳入の9倍にもなっていたと言われています。

ところで次回のパリ五輪はフランスの街中で行われるそうです。
ベルサイユ宮殿では馬術が行われる予定です。
ベルサイユ宮殿に馬術、ルールはよくわからないですけれどめちゃくちゃ見たいです。

▼戦争

1755~63年 フレンチ・インディアン戦争

イギリスの項をご参照ください。

当時のフランスとイギリスは植民地争いでバチバチでした。
北アメリカではイギリスに軍配が上がったようです。

ただイギリスも盤石ではありません。
この戦争後から財政難が続き、アメリカ独立に流れていきます。
アメリカ独立にはフランスも手を貸し成功させます。
その後、自分たちの革命へとつながっていく。
ここでの体験も影響があったのかもしれませんね。

■ドイツ

現在、EUをフランスと共に支えるドイツです。

▼国名

1701年 プロイセン王国設立
1871年 ドイツ帝国成立
1990年 ドイツ連邦共和国(東西統一)

プロイセン。
結局何なのかわからずに過ごした学生時代。

プロイセンは1701年のスペイン継承戦争がきっかけで誕生した王国です。
それまでは公国でした。
王国は王が、公国は貴族が統治する領地のようです。

この戦争はフランス・スペインVSイギリス・神聖ローマ帝国・オランダという戦いでした。
プロイセン公国は神聖ローマ帝国を支援し、その見返りとして神聖ローマ帝国皇帝・レオポルト1世に王国として認められました。

プロイセンはドイツ統一を目指していました。
普仏戦争で勝ったプロイセンはドイツ帝国を成立させました。

2つの世界大戦と冷戦を越えて、今のドイツの姿があるようです。

ちなみにドイツ連邦共和国(西ドイツ)、ドイツ民主共和国(東ドイツ)だったそうです。

▼戦争

1701年 スペイン継承戦争
プロイセン王国成立。フリードリヒ1世が統治。
1748年 オーストリア継承戦争
プロイセンは勝利し、領土獲得に成功。
1756~63年 7年戦争

イギリスの項をご参照ください。

■オーストリア

プロイセンと関係の強いオーストリアです。

▼戦争

  1748年 オーストリア継承戦争
1756~63年 7年戦争

ドイツの項をご参照ください。

マリア・テレジアがオーストリアを継承しました。
当初は女性ということもあってか見くびられたこともあるようですが、行動して認めさせたようです。
かっこいいですね。

▼ハプスブルク家

ヨーロッパ有数の貴族の家柄です。
神聖ローマ帝国の皇帝を頻繁に務めていました。
スペインなどの他の国の王にもなっていました。

オーストリアのハプスブルク家は政略結婚が有名です。
マリーアントワネットをルイ16世に嫁がせています。
結婚は祝福ムードだったそうです。

この結婚はフランスの強大さへの対処とプロイセンの脅威への備えだったようです。
大嫌いだったフランスとも手を結び、子を差し出す。
生存のためにはなりふり構っていられない姿が思い浮かびます。

政略結婚はいかがなものか?と現代日本人の感覚として思います。
自分が対象者だったなら、認められるのだろうか?
とはいえ戦争に比べたらかなりましです。
自分が行かなかったがために戦争になったとしたら…
どの立場にも、相応の苦しみがありますね。

■アメリカ

最後は大西洋を渡ってアメリカです。

▼戦争

1755~63年 フレンチ・インディアン戦争
1775~83年 アメリカ独立戦争

どちらも中心は米・英・仏ですね。

イギリスVSアメリカ内の13植民地。
途中フランスもアメリカ側について参戦。

イギリスは7年戦争後に財政が悪化しました。
植民地に重税政策を次々行ったことで、アメリカ側が反抗し戦争が始まりました。
当初はイギリス有利でしたが、フランスも参戦し、次第に形成がアメリカ側に傾いたようです。
1783年、パリ条約にて独立が承認され戦争は終結しました。

アメリカの独立記念日は、独立宣言(戦争中の1776年7月4日)を基にしています。
何だか日本の終戦の考え方を思い出します。

▼国名

The United States of America
アメリカ合衆国

アメリカという名は人名からとられています。
南北米大陸を発見した、イタリアの天文地理学者、アメリゴ・ヴェスプッチ(1454~1512)のラテン語名Americsが由来と言われています。
発見はコロンブスよりも若干後でしたが、新大陸と認識して紹介したのがこの方のようです。
単にAmericaというと、南北大陸の含めた意味になることもあるそうです。

■終わりに

生命保険会社誕生と言うトピックスから少し広げてみました。
「国」への信用が今ほどではなかっただろう当時、自助としての保険は、より画期的だったのではないのでしょうか。
ちなみに社会保障制度は、ドイツ帝国成立させたビスマルクの功績です。
社会主義者弾圧と労働者の権利を守ることを目的としたもののようです。
少しずつ現代に近づいていきますね。

背景やつながりを知ると、立体的に浮かび上がるような気がしてきました。
文化面や日本についても調べてみたいなぁと考えています。